【所在地】 京都府京都市東山区八坂上町388 →地図
【最寄り駅】 阪急河原町駅 三成は木曽義仲を討ち取った石田為久の子孫らしいので載せました。 首塚は東山区にある八坂の塔の敷地内にあります。 ここは公開してる時としてない時があります。拝観料は400円。 八坂の塔は2階まで上がれます。階段が物凄い急ですが; 上がる時も怖いけど降りる時はもっと怖いです。私は降りる時に足が攣りました。 ![]() ![]() |
【所在地】 京都府京都市北区紫野大徳寺町 →地図
【最寄り駅】 地下鉄烏丸線北大路駅 大徳寺の塔頭の一つで石田三成の墓所です。 拝観謝絶なので入れません(涙) 天正17年(1589)に浅野幸長・石田三成・森忠政(蘭丸の弟)が春屋宗園(大宝円鑑国師)を開祖として創建しました。 小堀遠州・古田織部・薮内剣仲・長谷川等伯などは、春屋に禅を学んだ人達です。 沢庵・千宗旦らも三玄院で修行をし、春屋宗園・石田三成・森忠政・薮内剣仲・古田織部の墓が祀られています。 織部好みの三畳台目・八窓の茶室「篁庵」(江戸時代建築)があり、本堂襖絵の八方にらみの虎は原在中の筆によるものです。 茶室の篁庵は西本願寺にあったものを明治時代に薮内家が三玄院に移したと言われているそうです。大徳寺は三玄院以外にも茶室がある塔頭が多く、利休の月命日(28日)には釜が懸けられています(8月と12月は休み) 三玄院でも1、4、7、10月の28日に表千家流の釜が懸けられるそうです。 ![]() ![]() |
【所在地】 京都市右京区花園妙心寺町 →地図
【最寄り駅】 京福北野線妙心寺駅、JR山陰本線花園駅 三代将軍徳川家光の乳母春日局を開基、碧翁愚完(鍋島勝茂の子)を開祖とする妙心寺の塔頭で通常は非公開ですが特別公開する時もあります。 御霊屋の後ろにある墓地には稲葉家代々の墓があります。ここには島左近の娘婿の柳生利厳の墓もありますが、ガイドさん曰くあるのは確かだけどどこにあるのかはわからないとの事でした。うーん残念。利厳の子である連也斎の位牌も納められているとか。 方丈の襖には海北友雪(友松の子)による雌雄一対の雲龍図が描かれています。雌雄一対で描かれたものは珍しいんだそうですが、とても迫力があって素晴らしいです。春日局の父斎藤利三と海北友松は親友で、その関係で友雪が襖絵を描く事になったんだとか。同じ部屋の襖に女の人が髪を垂らして仰向けになってるように見える絵があって、説明をしてくれてるガイドさんに「稲葉家だけにイナバウアー」とダビデもびっくりなダジャレをかまされました; 方丈の前に庭があり、その左奥に御霊屋があります。中には小堀遠州作とされる春日局の木像が安置されています。 ![]() ![]() |
【所在地】 兵庫県明石市上ノ丸1丁目 →地図
【最寄り駅】 JR明石駅 明石駅から徒歩12分ほど。坂を上りきった所にあります。 ここには島左近が持っていた妙見尊像が祀られています。明石藩の家老斎藤甚左衛門がその妙見尊像を奉納しましたが、この人は左近の子孫だそうです。 手前に本松寺があり、妙見社はその鎮守として宝暦11年に創建されました。 ちなみに本松寺には宮本武蔵が造ったと言われる庭があります。 鳥居を入ってすぐの所にある拝殿(?)内に説明板があります。 「當山の妙見尊は、往昔、武将「島左近」が常時崇拝された尊像で、後年、明石藩に仕え本松寺の壇徒となった島家の末裔により、當山に奉納された誠に霊験あらたかな尊像であります。 當山では、本松寺の守護神として、ご本尊(本堂)の乾(西北)に安置し、毎朝、天下泰平・国土安穏と壇信徒並びに参拝者の所願成就を祈願しております。 妙見尊は、開運妙見大菩薩と申しまして、運勢を切り開いて、信奉する人を助けようとする尊神様です」 ![]() ![]() |
【所在地】 滋賀県坂田郡山東町朝日1342 →地図
【最寄り駅】 JR北陸本線長浜駅、JR東海道本線近江長岡駅 三成と秀吉が出会った寺ですね(他の寺だという説もあるそうですが) 観音寺は横山城の東麓にあります。横山城の西麓が石田町です。 長浜の領主になる前に秀吉は1573年まで横山城の城将を務めていますが、横山城の登り口が三成屋敷跡のすぐ側なんで、城将時代の秀吉と石田村の地侍だった三成の父は交流があったんじゃないかなと現地に行ってみて思いました。地元の有力者を味方につけといた方がいいじゃないですか。秀吉が横山城の城将だったのは対浅井氏の為だったから城周辺の人達が浅井氏側につかれると困るだろうし。まだ領主じゃなかった秀吉なら結構気安く石田屋敷を訪ねたりしてたんじゃないかなと。そこで三成とも会ってたりとか。むしろ遊んであげてたりとか。 観音寺にしてもすぐ側に横山城への登り口があるんで、秀吉は普段から観音寺にもよく来てたんじゃないかと思うんですよ。 長浜の領主になって久しぶりに訪ねて茶を頼んだら城将時代から知ってる石田正継の倅が持ってきたわけです。「おお、佐吉か。久しいのう」とか言いながら三献の茶のエピソード通りお茶を飲んだ秀吉が「前から利発な子と思っておったがここまでとはのう。是非召抱えたいものじゃ。正継殿に頼んでみるか」とかいう経緯もありじゃないかと。 ![]() ![]() |
【所在地】滋賀県長浜市南呉服町6-37 →地図
【最寄り駅】JR琵琶湖線長浜駅 長浜駅のすぐ近くです。 祭神は豊臣秀吉と加藤清正と事代主命(えびす)と木村重成。 秀吉が亡くなった後に長浜の人達が秀吉の恩徳を慕って建立しましたが、江戸時代に秀吉を神格化する事が禁止された為に取り壊されました。 寛政5年(1793)に「えびす宮」の建築許可を受け、奥に町役人の家々で守り継がれてきた秀吉の御神像を安置して密かに祀っていました。「豊国神社」の名称は明治になってから復活したそうです。 ![]() ![]() |
【所在地】滋賀県長浜市平方町872 →地図
【最寄り駅】JR琵琶湖線長浜駅 小谷城主浅井氏の菩提寺で、浅井氏三代(亮政・久政・長政)のお墓があります。 元々は医王寺という名前で小谷城下の清水谷にありましたが、小谷城の落城後秀吉によって長浜に移され名前も徳勝寺と改められました。 寺には長政とお市の木像や秀吉が播磨から持ち帰った薬師如来像などがあります。 ![]() ![]() |
【所在地】滋賀県長浜市元浜町29-10 →地図
【最寄り駅】JR琵琶湖線長浜駅 元々小谷城下にありましたが、秀吉が長浜城を築城した際に現在地に移して鬼門を守らせたと伝えられます。 表門は長浜城の搦手門を移築したものといわれています。 寺には他にも大坂城が落城した際に持ち出された秀吉の木像や、淀殿が妹婿の京極高次に宛てた消息などがあります。 ![]() ![]() |
【所在地】滋賀県長浜市元浜町32-9 →地図
【最寄り駅】JR琵琶湖線長浜駅 真宗大谷派長浜別院で長浜御坊と呼ばれています。慶長7年(1602)本願寺の教如上人が徳川家康から本願寺の分立の許可を得て大谷派本願寺(東本願寺)を興したのにともなって、道場から無礙智山大通寺と号して発足しました。 山門は大型の二重門で、33年をかけて天保12年(1841)に完成しました。 山門が完成するまでは台所門が山門として使われていました。台所門は元長浜城の大手門です。という事は秀吉や子飼い衆達もこの門を通った事あるのかもしれないですよね(萌) 台所門の門扉には本能寺の変の時に明智側だった京極氏が攻撃した矢や弾痕が残ってるそうです。 ![]() ![]() |
【所在地】 福井県福井市中央1-21-17
【最寄り駅】 JR福井駅 駅から約5分くらいですが、鳥居が路地にあるのでちょっと分かりにくいかも。 かつて北の庄城があった所で、神社にはお市と柴田勝家が祀られています。 北の庄城は勝家が築いた城で天守閣が9層もあり、当時は日本最大級の城だったとか。 1583年(天正11年)に秀吉によって落城。勝家とお市が自害する際、火を放ったので焼失してしまいました。 ![]() ![]() |
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【所在地】 福井県敦賀市三島町1-3-3 →地図
【最寄り駅】 JR北陸本線敦賀駅 石鳥居と石灯篭と本殿の龍の彫刻は大谷さんが寄進したものと伝えられています。他に大谷さんの絵や敦賀城表門の礎石と鬼瓦があります。 本殿横に「敦賀郷土博物館」があるんですが、入り口が普通の家の玄関みたいだったので開ける勇気がありませんでした; ![]() ![]() |
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【所在地】 京都市上京区大将軍川端町 →地図
【最寄り駅】 京福北野線北野白梅町駅 正式には昆陽山地蔵院というそうです。境内には加藤清正が朝鮮の役の時に持ち帰って秀吉に献上し、さらに北野大茶会の時に秀吉が当寺に寄進した「散り椿」があります。現在の木は二代目だそうです。 あとこのお寺は痔にご利益があるそうです(笑) ![]() ![]() |
【所在地】京都市北区紫野大徳寺町 →地図
【最寄り駅】地下鉄烏丸線北大路駅 大徳寺の塔頭の一つで、織田信長の菩提寺です。春と秋に特別公開がありますが通常は非公開です。特別公開の料金は600円。 天正11年(1583)に豊臣秀吉が信長の一周忌の追善の為に創建しました。開祖は安土桃山期の名僧・古渓宗陳和尚。ガイドの方の説明によると千利休参禅の師で越前の朝倉氏の出だそうです。そして三成と衝突して配流になった事があるとか。三成ってお坊さんとも揉めてたのか…; 正門とその左右の土塀は創建当時のままだそうです。土塀は「親子塀」という塀の中にもう一つ塀があるという二重構造になってます。 ![]() ![]() |
【所在地】京都市北区紫野大徳寺町 →地図
【最寄り駅】地下鉄烏丸線北大路駅 豊臣秀吉の弟である秀長の菩提寺として奈良の大和郡山に創建されましたが、慶長4年(1599)に藤堂高虎が大徳寺に移しました。文政7年(1824)に焼失しましたが藤堂家によって再建されました。通常非公開です。 ここには黒田如水の好みと伝えられる三石の席という茶室があります。この茶室の露地の中に黒田長政と加藤清正と福島正則の3人がそれぞれ一つずつ捨て石を寄進したという話があるから三石の席というそうです。 ![]() ![]() |
【所在地】 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原 →地図
【最寄り駅】 JR東海道本線関ケ原駅 三成が陣を構えた笹尾山です。山と言うより丘っぽいんですが。 麓に島左近の陣跡と蒲生郷舎の陣跡があります。 写真は10月8日に行った時のものですが、この日はやたら観光客が多かったです。笹尾山以外でもご同類と思われるお嬢さん方も多かったです(笑) ![]() ![]() |
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